[パラオについてABC・・・]
正月パラオツアー2006年01月03日~[パラオについてABC]
【その1・・・歴史文化】
パラオは戦前に日本帝国の南洋庁があったところです。第一次大戦前はパラオはドイツの植民地でした。この地域の戦争でドイツに勝った日本は、第一次大戦後に国際連盟からパラオを含むミクロネシア地域を委任統治することを求められたのです。日本はたくさんの移民をこの地に送り、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残しました。パラオは15世紀後半からスペインやオランダやドイツ等のヨーロッパ人に支配(奴隷同様)されてて、ミクロネシアの島々のヤップ島、トラック島、ポナペ島のカロリン諸島からマーシャル諸島では、そんな人種の違うヨーロッパな外国人から開放したのが日本(日本軍)なんです。ですから開放してくれた日本人に対して、敬意敬服があり同じ東アジアとして信用があります。1994年にパラオはアメリカから独立した時に、パラオ(ベラウ共和国)の国旗は日の丸をアレンジして、青地に黄色の丸が選ばれました。色違いの日の丸ってことです。"青い海に黄色い人"ってことなのです。そしてその丸い黄色は中心より少し左へずらしてあり、理由は日本に失礼だからと中心をはずしたのだそうです。名前や名字にもパラオ人80%は日本名を付けて誇りに思っておられます。女性には"子(KO)"男には"郎(ROH)"を今でも付ける方が多いです。そして結婚したり独立した時に有名な日本名字をミドルに入れます。例えば"SHIMAKO-TANAKA-PUTIUN"シマコ-タナカ-プティウン"な名前になります。ですからタナカって人に集まってもらっても親戚とは限りませんですね。梅さんの知り合いでも先祖でもありませんが、パラオ人の上院議員のなかにウメタロウさんという方がいます。ハハハッ!冗談でないっすよ、本当の話なんです。私は最初この名前を姓名の「名」(ファーストネーム)のほうと思ってましたが、実際はこの方は"スティーブ・ウメタロウ"で"ウメタロウ"はこの方の「姓」だったのです。おそらく身近に"ウメタロウ"という名前の尊敬すべき日本人がいたに違いないってことだね。※(梅の遠い親戚が戦争中に何かやらかしたのかね・・・)第二次世界大戦後、この地域を占領したアメリカは日本文化の影響を徹底的に破壊しましたが、名前は排除できなかったてことです。現在のパラオは戦前の日本と日本人はアジアの人たちから尊敬されていたことを伝えております。そして・・・ベントウ・ゴメン・ベンジョ・オイシイ・アブナイ・ヤクソク等・・・日本語がそのままパラオ語として使われている言葉、単語が数多くあります。
アメリカ文化の流入によるパラオ国民の生活文化や人格破壊での犯罪増加と過疎進行であります。魚が取れても肉を選び、米を作ってもパンを食べ、麻薬大麻、銃犯罪が発生しております。第二次大戦後、南洋神社は取りつぶされ、校庭の二宮金次郎の銅像は引きずり降ろされました。しかし、パラオ人は心の中では勤勉の精神を教えてくれた日本人を敬い日本統治時代を懐かしんでいます。農業国家であるアメリカは農業酪農も全く教えず缶詰肉スパムを与えて・・・機械工業の先進な技術を伝えず銃を放置して去り・・・薬品開発と使用が最先端であるアメリカなのに麻薬を横行させて逃げていったのであります。その結果パラオには"外出禁止令"があります。コロール・アラカベサン・マラカルの各島で深夜2時(18歳未満は深夜0時)から朝6時まで、外出禁止令が制定されてます。この時間帯に歩いていて(ドライブも含む)パトロールに見つかると、旅行者でも1晩拘留されることがあるのでご外出してはいけません。
※パラオ歴史解釈は極めて独断と偏見に満ちていることをお断りしておきます。
【その2・・・歴史事実】
[アメリカ統治時代]
1945年、日本のポツダム宣言 受諾により戦争が終結した。1947年、国連の委託により、パラオはアメリカの信託統治領とされた。日本統治時代に浸透した日本文化の影響を消すために、アメリカは英語とアメリカ式ライフスタイルの導入を推進した。経済的にもアメリカに頼らざるをえないパラオは、急速にアメリカ化して行くことになる。 誇り高いパラオ人は、自国文化の消失を危惧し、アメリカの信託統治を脱して独立国となることを望んだ。1981年、自治政府を発足させ憲法制定を行ったが、憲法の中に日本国憲法に習った非核条項(領土内への核兵器持ち込み禁止)が含まれていたため、アメリカの利害と対立し強い反発を受けた。
[独立 パラオ共和国]
1982年、信託統治を終了させるためにアメリカとの間で自由連合盟約案の合意に至るが、これを巡って国内が親アメリカ派と憲法擁護派に分かれて対立する。1983年以降、7回実施された住民投票では、いずれも75%以上の賛成が得られず、信託統治の終了は承認されなかった。その間、大統領の暗殺や自殺、ストライキや爆破事件などが多発し、政情が不安定になった。1992年、住民投票にて非核条項を盟約案には適用しないことが承認された。1993年、第8回目の住民投票にてようやく自由連合盟約案が承認された。これを受け翌1994年、自由連合 盟約を発効(2040年まで有効)、パラオは遂に世界最後の国連信託統治領からの独立を果たし、同年、国際連合にも加盟した。現在パラオでは、共和国としてアメリカ式議会政治が行われている。
[パラオ年表]
1783年 イギリス船「アンテロープ号」の座礁西洋の接触が始まる。
1885年 スペインによる植民地化
1899年 ドイツによる植民地化
1914年 第1次世界大戦勃発
1920年 日本による統治開始
1922年 日本の南洋庁の設置(コロール)。日本の教育を行う。
1947年 国連太平洋信託統治領としてアメリカによる統治開始
1981年 パラオ憲法発布。自治政府の発足
1993年 第4代大統領/クニオ・ナカムラ(Kuniwo Nakamura)就任
1994年 パラオ共和国として独立。同年12月国連に加盟
1997年 ナカムラ大統領再任
2001年 トミー・レメンゲサウ第5大統領が就任
【パラオLINK】
デイドリームパラオ
http://www.daydream.to/palau/
パラオ政府観光局
http://www.palau.or.jp/
http://www.visit-palau.com/
パラオの総合情報サイト
http://www.alii-times.com/
NPO南洋交流協会
http://www.nanyou.org/html/palau/history.html
パラオ研究会浜松支部 梅本誠一郎
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